キャンピングカーの歴史 第4回

HISTORY OF CAMPING CAR

キャンピングカーの歴史 第4回

文:町田厚成

日本を走った最初の輸入キャンピングカーは、映画制作に携わっていた萩原一郎さんが、ヨーロッパから持ち帰ったフォルクスワーゲン・キャンパーだとされる。

ベース車は、通称「ワーゲンバス」と呼ばれるトランスポーター。1950年から1967年までに製造されたシャシーで、VWビートルをベースとするリアエンジン・リヤドライブの商用車である。一般的には「タイプ2」という呼称で親しまれており、現在に至るまで関連する書籍やミニカーもたくさん登場するなど、根強い人気を秘めたクルマだ。1200ccの空冷水平対向4気筒OHVエンジンを搭載し、最高出力は25ps。このワーゲンバスをベースにしたバンコンは、その後「ウエストファリア」のブランドを不動のものとした。無駄のない合理的なパッケージング。シンプルながら使い勝手を考え抜いた装備類。キャンピングカーとしての完成度も、当時から群を抜いていた。

萩原さんは1957年にTBS映画社に入社して以来、記録映画の製作のために海外で活躍することが多かった。欧米でのキャンプ体験も豊富。当然、キャンピングカーを目にする機会も増え、当時の普通の日本人よりもキャンピングカーに対する関心を深めていた。

1961年(昭和36年)、映画制作のためにアメリカ経由でヨーロッパに向かうつもりでいた萩原さんは、途中に寄ったニューヨークのモーターショーで、このウエストファリア製のワーゲンキャンパーに出合う。

「そうだ! ヨーロッパに渡ったらこのクルマを買おう」萩原さんの脳裏に、あることがひらめいた。

萩原さんは語る。

「ヨーロッパで映画をつくる場合は、長期滞在になりますので、アパートか家を借りることになりますが、考えてみると家賃がもったいない。ならば寝泊まりできるキャンピングカーというものを買ってしまおうと思ったんですね。値段は確か3,000ドルくらいでした」

おそらく、これが日本人として最初に外国製キャンピングカーを購入した人の証言になるはずだ。

そして1962年(昭和37年)、萩原氏がヨーロッパのニュルンベルクで買ったキャンピングカーが日本にやってくる。この頃から、日本でも「オートキャンプ」というレジャーが少しずつ認知されるようになった。萩原氏のように、海外のキャンプ場でキャンプを経験してきた人たちが、日本でも自動車を使ったキャンプを普及させようと思い始めたからだ。

「オートキャンプ」(和製英語)という言葉そのものは、すでに大正時代に生まれていた。キャンプのノウハウを教えるハウツー本が日本で最初に出版されたのは1926年(大正5年)だという。そこではオートキャンプは「自動車に寝具炊事具等をのせ家族同伴で風光明媚の地に鎖夏旅行を兼ねたキャムピングをする事」と定義されていたという。

しかし、それが一般の人々にまで浸透することはなかった。なぜかというと、庶民の間には自家用自動車というものが普及していなかったからだ。そのため日本における「キャンプ」は、山岳登山やスポーツを行うための「心身の鍛錬の場」というイメージの方が進行した。

戦後の復興期を経て、東京オリンピックが開催される頃になると、マイカーの普及度も相当上がったが、“オートキャンプ”と呼ばれるような自動車を使ったキャンプは「邪道である」という意識が日本にはまだ根強く残っていた。しかし、キャンプ先進国のヨーロッパなどでキャンプを体験していた人たちは、すでに自動車を利用したキャンプ活動が主流であることを熟知しており、逆に、日本でも早くそういう体制を整えないと、世界の主流から取り残されてしまうという意識を持っていた。

そのような気持ちを抱く人たちが集まって、後に「日本オートキャンプ協会」という団体に成長していくことになる。

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写真はイメージです。本文に登場する車両とは年式やタイプが異なります。